2015年10月20日
冒険の共有という言葉
社会に出ると、大変なことが沢山あるが、その中でも難しい言葉だと感じるのが、「情報共有」や「連携」という言葉です。
これが簡単なようで、難しい。
情報を伝えたつもりなのに相手に上手く伝わっていなかったり、情報が自分に入ってこずに、一人勝手にやきもきしたり。
社会人の皆さんなら、皆一度はそういう経験があるのではないかと思います。
今回の栗城くんの登山は、図らずも情報共有の難しさを示してしまった事例ではないかと思います。
リアルタイムでの冒険の共有を目指して登る栗城くんにとって、肝心の冒険の内容がリアルタイムで入ってこない。
ツイッターのコメント欄にあるように、不透明な移動の痕跡しか情報がないこと、アタックを開始してから、予定よりはるかに早い段階での下山選択とその理由がかみ合わないこと、簡単な文章だけで今回の登山を説明して、ツイッターにある質問にはイマイチ答えになっていない点が気になっています。
そもそも、リアルタイムの冒険の共有をするにあたり、頂上付近まで来てからの中継以外に冒険を共有する方法はなかったのでしょうか?
応援していた人達は登頂をもちろん期待していましたが、それが叶わなくとも、栗城くんの挑戦する様がリアルタイムに伝われば、十分、冒険を共有できたのではないかと思います。
それが、アタック後の情報があまりにもなく、今のところ下山の報告だけのように見えます。
それに、今回のルートが難しい理由とか終わった後で言っても、どうしても言い訳めいて見えてしまいます。
中継が出来ないとしても、せめて頭にカメラを付けて、アタックしている映像を見せてくれたら、大部分の応援している人達は納得できたのではないでしょうか。
登頂できなくとも、雪の中を漕いで進む栗城くんの姿があったら、どういう過程で下山を決めたのかを、言葉ではなく映像で伝えてくれたら。
「情報の共有」という言葉に対する認識が、栗城くんと応援していた人達との間に少しズレがあったように感じます。
登頂の瞬間だけの共有というのなら、そう最初から言ってくれたら、それまでの情報は無くても文句はありませんが、冒険の、というお話しなら、「いつどこでどのように伝えるのか」について、もう少し検討してもらえたらと思います。
登ったことのない人達に伝えたかったのなら、「登ったことのない人はあ~だこ~だ言うな」とツイッターで書く前に、もう少し応援している人達へ伝える努力をして欲しかったなと思います。
栗城くんはツイッターでの売り言葉に買い言葉で思わず言ってしまったのだと思いますが、あの一言は、社会人としてはさすがにちょっと大人げない。
私は、栗城くんを何年も前からずっと応援しています。
栗城くんがツイッターで「登頂できない=失敗ではない」と言っていますが、私もそのとおりだと思っています。
失敗とか成功とか、そういうことではなくて、私は挑戦する思いを共有し、登頂をあきらめる場面であってもその思いを共有したかった。
それが失意の下山であっても、心は一緒に下山したかったのです。
応援する人の気持ちって、そういうものじゃないかなって思います。
例えば、高校野球で応援している人達だって、勝てばもちろんうれしいけれど、負けたって、試合が終わってから、やれあの時の作戦が悪い、打てなかった彼が悪いと、後出しでネチネチ責めたりはしません。
なぜなら、一所懸命やっている姿を球場やテレビ、ラジオでリアルタイムで見聞きしているからです。
そんなことを後で言う人がいれば、ツイッターで栗城くんが言っていたとおり、その人の方が間違っています。
でも、今回の冒険は違います。
栗城くんから、「アタックします」、「下山します」の報告はありますが、その間の過程は応援している人へ殆ど情報が発信されませんでした。
これでは、応援していた人達は、何をもってこの冒険のことを納得すればいいのか、分からなくなってしまいます。
冒険の共有、情報共有という言葉はやはり難しい言葉なのだと、改めて感じずにはいられません。
今回の登山のことは、私なりに、この記事で一区切りつけようと思います。
ただ、「次は北側(中国側)です」と、ブログでもう話している栗城くん、どうか、今回、応援していた人がまだ整理できない気持ちを少しは慮って、言葉を発信して欲しいです。
アンチ栗城くんにはなりたくないので、この話しはもうこれで終わりにします。
ブログを応援してくださる方、クリックをお願いします。

にほんブログ村

人気ブログランキングへ
これが簡単なようで、難しい。
情報を伝えたつもりなのに相手に上手く伝わっていなかったり、情報が自分に入ってこずに、一人勝手にやきもきしたり。
社会人の皆さんなら、皆一度はそういう経験があるのではないかと思います。
今回の栗城くんの登山は、図らずも情報共有の難しさを示してしまった事例ではないかと思います。
リアルタイムでの冒険の共有を目指して登る栗城くんにとって、肝心の冒険の内容がリアルタイムで入ってこない。
ツイッターのコメント欄にあるように、不透明な移動の痕跡しか情報がないこと、アタックを開始してから、予定よりはるかに早い段階での下山選択とその理由がかみ合わないこと、簡単な文章だけで今回の登山を説明して、ツイッターにある質問にはイマイチ答えになっていない点が気になっています。
そもそも、リアルタイムの冒険の共有をするにあたり、頂上付近まで来てからの中継以外に冒険を共有する方法はなかったのでしょうか?
応援していた人達は登頂をもちろん期待していましたが、それが叶わなくとも、栗城くんの挑戦する様がリアルタイムに伝われば、十分、冒険を共有できたのではないかと思います。
それが、アタック後の情報があまりにもなく、今のところ下山の報告だけのように見えます。
それに、今回のルートが難しい理由とか終わった後で言っても、どうしても言い訳めいて見えてしまいます。
中継が出来ないとしても、せめて頭にカメラを付けて、アタックしている映像を見せてくれたら、大部分の応援している人達は納得できたのではないでしょうか。
登頂できなくとも、雪の中を漕いで進む栗城くんの姿があったら、どういう過程で下山を決めたのかを、言葉ではなく映像で伝えてくれたら。
「情報の共有」という言葉に対する認識が、栗城くんと応援していた人達との間に少しズレがあったように感じます。
登頂の瞬間だけの共有というのなら、そう最初から言ってくれたら、それまでの情報は無くても文句はありませんが、冒険の、というお話しなら、「いつどこでどのように伝えるのか」について、もう少し検討してもらえたらと思います。
登ったことのない人達に伝えたかったのなら、「登ったことのない人はあ~だこ~だ言うな」とツイッターで書く前に、もう少し応援している人達へ伝える努力をして欲しかったなと思います。
栗城くんはツイッターでの売り言葉に買い言葉で思わず言ってしまったのだと思いますが、あの一言は、社会人としてはさすがにちょっと大人げない。
私は、栗城くんを何年も前からずっと応援しています。
栗城くんがツイッターで「登頂できない=失敗ではない」と言っていますが、私もそのとおりだと思っています。
失敗とか成功とか、そういうことではなくて、私は挑戦する思いを共有し、登頂をあきらめる場面であってもその思いを共有したかった。
それが失意の下山であっても、心は一緒に下山したかったのです。
応援する人の気持ちって、そういうものじゃないかなって思います。
例えば、高校野球で応援している人達だって、勝てばもちろんうれしいけれど、負けたって、試合が終わってから、やれあの時の作戦が悪い、打てなかった彼が悪いと、後出しでネチネチ責めたりはしません。
なぜなら、一所懸命やっている姿を球場やテレビ、ラジオでリアルタイムで見聞きしているからです。
そんなことを後で言う人がいれば、ツイッターで栗城くんが言っていたとおり、その人の方が間違っています。
でも、今回の冒険は違います。
栗城くんから、「アタックします」、「下山します」の報告はありますが、その間の過程は応援している人へ殆ど情報が発信されませんでした。
これでは、応援していた人達は、何をもってこの冒険のことを納得すればいいのか、分からなくなってしまいます。
冒険の共有、情報共有という言葉はやはり難しい言葉なのだと、改めて感じずにはいられません。
今回の登山のことは、私なりに、この記事で一区切りつけようと思います。
ただ、「次は北側(中国側)です」と、ブログでもう話している栗城くん、どうか、今回、応援していた人がまだ整理できない気持ちを少しは慮って、言葉を発信して欲しいです。
アンチ栗城くんにはなりたくないので、この話しはもうこれで終わりにします。
ブログを応援してくださる方、クリックをお願いします。

にほんブログ村

人気ブログランキングへ
Posted by 健さん at 21:09│Comments(0)
│その他
スパム対策のため、当分の間、承認後に受付させて頂きます。